いつの間にか長くなったLA暮らし

ロサンゼルス(LA)に住み始めて、いつの間にか40年以上が過ぎました。仕事と趣味を楽しみながら、忘備録としてつらつら書いています。

日本からごみを運び続けた女



母が存命だった頃、日本へ行くたびに物を運んで帰り、アメリカで捨てていた。



とにかく、年寄りは物を捨てない。



古いものでも大事にしまい込んで、入りきらなくなると、それらをしまうために家具を買う。


まず、立派な箱に入った引き出物。箱がかさばるので、中身を箱から出してスーツケースに入るだけ詰め込む。



捨てるとは言わない。



「お母さん、日本の食器は喜ばれるから、貰って行くわね。」



と言うと喜んで、あれも持って行け、これも持って行けということになる。



次に、洋服類。



ほとんど来ていないもの。タグが付いたままになっているものがどっさり。それも、色も形も似たような物ばかり。これも、何年かかけてかなり片付けた。



後は、手芸が趣味の母の手作り。パッチワークや袋物。それはそれは沢山。
趣味で一日中やっていて、できてしまえば気が済むから、どんどん溜まってくる。



「お母さん、こういう日本的なものは喜ばれるのよ。」



と言って貰ってきた。一応、欲しいという方には差し上げていたが、残ったものはすべて処分した。



そうしているうちに、母の妹たちが聞きつけて、



「ラクラシちゃん、手芸品が好きなんだってね。私のも上げるわよ。」



あらら。




親戚のおばさんたちのものまで持たされることになってしまった。



「今度来るまでに、また作っておくわね。」





うっぷす。






母が施設に入った後の家の片づけをしたときには、あること、あること。もう病院くらいしか行く所がなくなったからか、肌着類が、これでもかというくらい沢山しまい込んであった。それも、全て新しいものだ。



新品の肌着は、施設に寄付させてもらった。



親の家の片づけは、本当に大変だと言う。友人の中には、業者に頼んだと言う人もいる。

私が運び続けた親の持ち物は、そういう人たちから見たら大したものではないかもしれないが、捨てる捨てないで親子喧嘩にならなかっただけ良かったのではないかと、勝手に思っている。



綺麗な布をわざわざ切り刻んで、それをまた繋ぎ合わせることに何の意味がある?
By義兄

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