いつの間にか長くなったLA暮らし

ロサンゼルス(LA)に住み始めて、いつの間にか40年以上が過ぎました。仕事と趣味を楽しみながら、忘備録としてつらつら書いています。

形見分け

友人Tのご主人が亡くなった。



温厚な人柄で、妻であるTをこよなく愛し、その友人である私や、もう一人親しくしている友人Nのことも大切にしてくれていた。


毎年暮れになると、お正月用にとお餅をついてくれた。
それも、つき立てを渡したいと言って、Tが、私とNに会う時間に合わせて用意してくれた。



「餅つき機が回る音を聞いて出かける支度をしていたの。」




と、Tが良く言っていた。





毎年の事だったので、年末が近づいてくると、


「そろそろかな。」


と、こちらも楽しみにするようになっていた。





ご主人が亡くなってしばらくしてから、


そう言えば、あの餅つき機はどうなったんだろうと思い、Tに聞いてみた。


使う人がいなくなり、処分するしかないとのこと。


それでは、私に形見分けとして使わせてくれないかと頼んでみた。



Tは快く承知してくれ、それからは私が毎年TとNへ。そして、かつて私が毎年の恒例として楽しみにしていたように、近しい人たちにお餅をお渡しするようになった。




機械がつくだけと言っても、ちょっとしたコツがあり、何度かの練習期間も含めて、年末の2週間ほどは結構餅つきで忙しい。





でも、



「今年もあてにして良い?」


「楽しみに待っています。」




等と声をかけてくれたり、作ったお汁粉やお雑煮の写真を送ってくれたりする友人たちの気持ちが嬉しくて、以前は頂く立場で楽しみにしていた年末のお餅が、今度は貰っていただく楽しみに変わって行った。




形見分けとしてもらったものは、形のある機械よりももっと大きな、形のない「気持ち」だったんだと思う。




Tのご主人は、こんな気持ちで、毎年自分の妻の友達のために時間と労力をかけてくれていたんだと思うと、



使い込んで大分年季が入ってきたこの餅つき機を仕舞う時、古くなったからといって買い替える気持ちにならず、




大切に使い続け、毎年出すたびに思い出すことが何よりの供養だと思い、




「また来年もお願いしますよ。」




と言いながら今年も箱のふたを閉じた。

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