いつの間にか長くなったLA暮らし

ロサンゼルス(LA)に住み始めて、いつの間にか40年以上が過ぎました。仕事と趣味を楽しみながら、忘備録としてつらつら書いています。

札幌に着いた 帰って来たよ


札幌だあ。


帰って来たよ。


安心して、どっと疲れが出た。




まず、両親の眠る納骨堂のお参りがある。


義兄が車を出してくれて、お昼を食べてから行こうと言ってくれた。


連れて行ってくれたのは、トリトンさん。



札幌では、是非「根室花まる」さんへ行こうと思っていたが、二時間待ちとかでしょう。


ここトリトンさんも大の人気店だけど、時間をずらせばそこまで待たずに食べられる。



回転寿司となっているが、最近の事件のせいもあり、タッチパネルでオーダーしてから


握ってくれる。


テーブル席に座ったら、板さんが挨拶に来てくれる。


このサービスの良さって何なの? チップないのに。申し訳なくなる。



「何でも好きなものを好きなだけ食べなさい。」


と、お姉ちゃん太っ腹。妹は一生奢ってもらい役。


遠慮しいしい、でも、勧められたら断らない。



                                                            


シニア夫婦2組で、40皿。



美味しかったよ。ごちそうさまです。




食後、両親のお参りに行った。


うちは納骨堂経営破たん事件の被害者家族で、揉めに揉めた結果、


兄はさっさと気持ちを切り替えて、次の納骨堂を決め、


かかった費用は3人で出し合って、今のところに両親の遺骨を移した。






遺族がカードをセットすると、故人の写真が出てくる。


専用の仏壇ではないので、お供え物もいらないのだそうだ。


そして、お骨は粉骨して箱に入れ、奥の部屋に図書館のように棚に入れられている。



姉から話には聞いていたし、写真も送ってもらっていたけど、


今一ピンと来なかった。


ははあ、こういうことだったのね。


やっとわかった。


ちょっとドライすぎる気がしなくもないけど、時代よね。


今の若い人たちは、特に遠くに住んでいるともうお墓守りなんて無理だし、


こんな風に管理してもらえば、きれいなところで清潔に保存してもらえる。



古い価値観に捕らわれずに今のやり方を受け入れて、遺骨の安置を優先した。


兄にとっては大きな決断だったと思う。


でも、それで良かったと思う。

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