泣いた理由
私の母が亡くなる少し前に帰国し、姉と一緒に入院中の母のお見舞いに行った時、
「お母さん、来たよ。」
の私に、
「高いのに…。」
と、自分は寝たきりになっていたのに、60過ぎの娘のアメリカからの旅費の心配をしてくれた。亡くなるまで意識はしっかりしていて、たまにしか会えない娘との再会を喜んでくれた。
なので、ホンダ夫人が今回施設に入っているお母様のお見舞いに、お姉様と一緒に行った時の話が悲しくて、泣いてしまった。
認知の入ったお母様が、二人の娘の区別がつかず、
「娘が来てくれた。」
と喜んでくれたと思ったら、
「母が言う娘って、私の事です。」
と、お姉様が周りの人にアピールしていたと。
ホンダ夫人は、まるで透明人間のような扱いを受けたと。
近くにいて頻繁に面会に行ける人と違い、アメリカは遠い。LAからだと、直行でも11時間プラス、地方都市の場合は国内線の乗り換えがある。何かあってもすぐに行けない後ろめたさは、皆持っている。
親が認知症になり、自分のことが分からなくなるのは、悲しいことだが仕方がない。だからって、遠くに住んでいる者をないがしろにする理由にはならない。
姉が随分前に言ってくれたことがある。
「日本に居ても、間に合わないこともある。」
「遠くに住んでるからって、薄情だと自分を責める必要はない。」
と。
ホンダ夫人のお母様が彼女のことが分からなかったとしても、お姉様は、せめて、
「あなたには時々しか会えないから、多分お母さんは混乱しているのね。仕方ないわよ。悲しむことないわ。」
くらい言ってくれても良かったのに。もう、十分悲しんでいるのだから、追い打ちをかけることないのに。
そう思うと、聞いている私の方が悲しくなって、オイオイ泣いた。
周りはドン引き